日本の怪奇マンガは、楳図かずおとかひばりコミックスとかのように少女マンガ様式のものが一大勢力を成したけど、香港にもそのタイプの作品群があるのは知らなかった。絵柄が濃すぎたり、赤んぼ少女・タマミっぽいのがいたり、バトル要素が強すぎたりで、笑ってしまう。
『独眼竜政宗』(1987年)に出てきた、迫力としては満点だけど、「秀吉役」としては疑問でいっぱいの勝新太郎。ぜんぜん「サル」「ハゲネズミ」という感じじゃない。そして思ったのだが、もしかして『花の慶次』(1990年〜)の「家康」の原型になったんじゃないだろうか。
たしかに、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーが『人を動かす』や『道を開ける』などの自己啓発本を書いた、と誤解している人は多いだろう。正しい著者は自己啓発トレーナーのデール・カーネギーで、血縁関係などもない。名前の綴りは一緒(Carnegie)。
ブライアン・デ・パルマ監督『キャリー』(1976年)を観た。名作! スティーヴン・キング原作。同監督の様式美を長年熱愛してきたのだが、本作は怖そうなので避けてしまっていた。なによりも狂信的な(性に関する潔癖主義の)母親が怖すぎるし嫌すぎる。「イヤボーンの法則』(『サルまん』)の起源。
留年はRPGなどで言う「強くてニューゲーム」だったか。しかし単位を落とした学生にそんなこと言ったら、サイコパスだと思われてしまうから、けっして言えない。
「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」(菅野カラン)を読んだ。良い絵、良い物語、良い言葉。「あなたたちが作った俳句だって でたらめでもフィクションでもなにか一つの風景が閉じ込められてて それを次に読んだとき実際に自分がどこにいてもそこれ連れてってくれるでしょ」
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『キャプテン翼』は今後ネーム(下書き)連載に移行するんだって。意外だったのは荒れやすいヤフコメで好意的な意見がずらりと並んでいること。かつて大いに物議を醸したけど、江川達也や冨樫義博によるマンガ文化の破壊行為は、同時に開拓でもあったのだなと思った。