8月31日は
#野菜の日
松本零士「男おいどん」
からだにいいんだよ/生ヤサイは/からだに
単行本化に際しての改変
手塚治虫「海のトリトン」
時事ネタ削除
1971年5月30日掲載「中国とアメリカのようにだ」→「考えなおせ!」
1971年3月~4月に名古屋で開催された世界卓球大会での米中接近(所謂ピンポン外交)を含む「中国と米国の雪解け」をネタにしたものと思われます
Ⅲ章の終盤、展子の魂が救済される場面の描直しも興味深い
「私は彼女の子どもだった」という科白以前に「彼女はわたしの母親」という擁護の言葉を加え
「見送りの時に母親が泣いていた」というエピソードを「母親も自分と同じ慌て者」に変えて「私は彼女の子どもだった」に繋げる構成に
#樹村みのり
綿引:当時、ミッチー(現在の上皇后)ブーム、テニスブームでした
志賀:でもそれはハイソな趣味でスポ根ではないんです。「スマッシュ~」のバックボーンは沢松和子選手の方でした。この作品では姉が上流階級、妹が山育ちで、テニスが上流の趣味から庶民のスポーツに変わると言うテーマがありました
#暑いので涼しげな画像貼れ
斎藤次郎原作、真崎守作画
「寂光院蝉しぐれ」(甦春記・京都大原)
週刊漫画サンデー増刊号1972年9月4日号
36ページ、単行本未収録
京都大原で出逢った、互いの中に自分と同じものを見る男女の物語
単行本未収録なのが惜しい佳品
#真崎守
#漫画の名シーン
萩尾望都先生の「11人いる!」
さらっと描かれていますが
ガンガの
「十一人目はオレだ」
は泣ける台詞
岩本:私のつげ初体験は小五で、ねじ式やゲンセンカン主人を読み「ヤバさ」を感じました
石川:作り物じゃないリアルさ
押井:芸術的なヌードとは違う、日常性がある生のエロス。
おかっぱ少女は、人間じゃない理想化された何かかもしれない。一方ちょっと太めの女性には生々しいエロスが
#つげプロ
でもきっと、今、世に出たら最もセンセーションを呼ぶのは
「蜃気楼」という同人誌に載った「ないしょの話はあのねのね…」だと思います。