#アナログ絵を流してアナログ民を増やそう
アナログ絵しかねぇから(ドヤることでもねぇけど)。恥ずかしいホワイト跡をご覧ぜよ。
#いい推しの日
今日は「てつしぼかわつつみがちりんもんもがみどうぐそく」という名前だけでもおぼえて帰っていってください。
小山の一族上杉朝村が酔って放った矢が、三浦一族が飲んでいる店に入った。その非礼の対応が悪く大喧嘩となり鎌倉は騒然とした。次期執権・北条経時は三浦方に駆け付けたが、弟の時頼は彼等が仲がいいのを知っていたのか意に介さなかったので度量を称えられた。(吾妻鏡仁治二年11月29日-30日条)
【海野幸氏】北条時頼が初めて流鏑馬を披露するに及び、幸氏が指南した。その際西行が語った極意を紹介すると、下河辺行平や愛甲季隆といった弓達者がしきりに感心したという。この頃の彼らは結構老齢だったはずなので、弓談義に花が咲いたのではないかと思う(『吾妻鏡』嘉禎三年7月19日条)。
【笠印】下河辺行平が頼朝に献上した兜には、本来袖につける布(袖印)があった。行平は、武士の本懐は先駆けであり、であるならば目の前の敵には名乗りを上げることで、味方にはその後ろ姿で名を知らしめることができるから、兜の後ろに印をつけるのだと語ったと『吾妻鏡』文治五年七月八日条にある。