【壇ノ浦の戦い】平教経は、京都一の強弓と称された、平家きっての猛将。壇ノ浦の戦いでは義経を襲うが果たせず、もはやこれまでと観念すると、兜と武器を海へ放つや、胴の草摺をもかなぐり捨て、安芸太郎・次郎兄弟を抱えて身を投げ果てた。
小山の一族上杉朝村が酔って放った矢が、三浦一族が飲んでいる店に入った。その非礼の対応が悪く大喧嘩となり鎌倉は騒然とした。次期執権・北条経時は三浦方に駆け付けたが、弟の時頼は彼等が仲がいいのを知っていたのか意に介さなかったので度量を称えられた。(吾妻鏡仁治二年11月29日-30日条)
【自天親王の兜】前田青邨は、川上村を訪れた際に特に許され、開かずの蔵から村の総代十数人が榊の葉を口にして、大事に取り出された門外不出の兜を、近くの小学校で、彼らに見守られるなかで写生したという(日本の冑ー前田青邨スケッチ集より)。現在春日大社の国宝殿に展示中(9/7まで)。