【堂射】星野勘左衛門は、三十三間堂の廊下で、夜通し弓を引き続けて、堂の軒下約121mを、何本の矢を射通せるか競う「大矢数」で、勘左衛門は八千本の記録を立て、天下一(惣一ともいう)の称号を得た。江戸時代初期に流行したこの競技は、超人的な記録の更新が相次いだ。
#アナログ絵を流してアナログ民を増やそう
アナログ絵しかねぇから(ドヤることでもねぇけど)。恥ずかしいホワイト跡をご覧ぜよ。
【名誉の大力】足利尊氏に敗れた新田義貞は、水嵩の増す天竜川に退路を阻まれた。浮橋を急造して渡河を試みるも二十数人を残して橋が壊れてしまったその時、名張八郎は仲間を掴み上げ次々と橋の向こうへ投げ渡し、残る二人は脇に抱えて川を飛び越え事なきを得たという(太平記巻十四:官軍引退箱根事)。
小山の一族上杉朝村が酔って放った矢が、三浦一族が飲んでいる店に入った。その非礼の対応が悪く大喧嘩となり鎌倉は騒然とした。次期執権・北条経時は三浦方に駆け付けたが、弟の時頼は彼等が仲がいいのを知っていたのか意に介さなかったので度量を称えられた。(吾妻鏡仁治二年11月29日-30日条)