尤も、その蟲使い達にしてもコミュニティの維持は大変なようです。人里から屡々孤児を迎えてなお、この三百年の間に十一の支族のうち三つが絶えているのですから。
しかし何より大きいのは、教祖たる皇弟ミラルパ自身が「よりよい来世」を欠片も信じず、「老いと死を誰よりも恐れる」有様だからでしょう。まあ幼少時に目の前で実父が肉体崩壊(!)するトラウマ見せられては仕方ないとはいえ、唱える本人すら信じていないものが、どうして人の心を救えるのか。
実はこの点の前提となる「何故王蟲達は人間の愚行のせいで死ななければならないのか」が単行本版では深掘りされています(左)。連載版(右)では「死なないで」という単純な思いがもう少し強く、それが「心をひらいて」という叫びに現れています。
即ち、クシャナの辛さは「喪われた愛」ー但し母のクシャナへの愛は変わらず、それがただ「自分」には向けられなくなったーの哀しみと呼べるものでした。そしてその「復讐」がクシャナの、最大の(かつ困ったことにはほぼ唯一の)原動力となります。
来賓&患部(幹部)の「微笑と歓待の戦争」こと社内同窓会からさきほど帰還。お偉方ノドンパチとゴマすりのカクテルを空腹の中見せられた下々としては、なんたかなぁ…となる。
十三日以降はマスク外せと赤の他人に「正しく」説いて回る方々、街中の「萌え絵」にいちいち反応しては人権侵害だなんだと攻撃する手合にによく似ている。どちらも「あなたには関係ないでしょ?」で終わるんですわよね。
#逃げ上手の若君 、必殺のパルティアンショットで国司殿を打倒してからのいよいよの名乗り上げで、盛り上がりが最高潮過ぎてもう素敵!そして次号はいよいよ正体を知った貞宗殿との対決になりそうで、これも目が離せませんね。
次いでミラルパ登場、地の底から響くような声が迫力ありました。ここで早くもチヤルカ登場(原作では三巻サパタから)。幽体分離時にはミラルパの衣装が、原作の「闇」を想起させるものに変わる、手招きでナウシカを手繰り寄せるなど、幽玄の世界をよく表していました。
実はらナウシカが墓所でこの信念を以て墓所と対決する下記の場面も単行本書き下ろしなのですが、こうしてみると墓所編についてはかなり丹念に伏線部分から書き直してテーマを深掘りしているのですね。
それは「腐海側のキャパシティ」の問題です。蟲の卵を「分けて貰い」、況んやその体を棲みかや衣服に利用する「森の人」は蟲から見れば一種の寄生者ですが、そうした者を腐海はどれ程養えるのでしょうか?もしもっと沢山の人が彼等のように「腐海と共に」生活するようになればどうなるのでしょうか?