あ、そうそう、このシーンだ。
必要ない場合は、そもそも動かないという。
なにげに高性能なんだね、AEDって。
こう考えると、「ドラえもん」の連載の、初期と終期での、のび太の描かれ方の差は、「いつかの自分と同じダメ少年」から「婿殿に期待する義父」の目線に変わったからかもしれませんな。
「エヴァ」完結で、「もうオタクでいる理由を見失った」とロス化を漏らす感想を目にしたが、「そんなバカな」という反応もあるが、実際、俺の学生時代の「ああっ女神さまっ」に人生を捧げてた友人は、完結から数年で、ビックリするほど老けたんだよな・・・
今週のキン肉マン・・・この国立超人博物館・・・あれや、「スクラップ三太夫」に出てきたアレや!? あん時のベアクローや!!
こういったところから考えると、
「常にのび太をハブるスネ夫(階級が下の者を入れると自己の地位も下がる)」
「本当に困った時はスネ夫ではなくのび太に頼るジャイアン(同階級の者に弱みを見せられない)」
「外部の敵が現れた時は一致団結する」
も、そういう社会構造が透けて見える、と・・・
「動物への罰」ではなく、「飼い主の権利制限」という解釈なので、ペットを正しく管理せず、なんらかの処分が下れば、その「家族」をそうしてしまったのは、飼い主の責任。殺処分されたとするならば、殺したのは「そのようにした」飼い主となる。その「怖さ」を忘れないようにしたいものですな。