『エマ』を読み返して、思い出す。#ゆっくり文庫 のマープルとルーシーは、ケリー先生とエマから着想を得た。人物も、立ち位置も、時代も違うけどさ。『ポケットにライ麦を』のメアリー・ダブは、アデーレから。いろんなサブキャラ、ドラマを考えたけど、ミステリーから外れてしまうんだよね。
(生体脳へのこだわり)
平井和正や石森章太郎は、脳こそが人間と考えていたようだ。『ロボット刑事』も、漫画では生体パーツを使っていたしね。
頭蓋に脳が入っていたら、機械の体であっても怪物であっても、人間とみなす。私もそれが当然と思っていた。
大人になって最終回を見たら、ぜんぜんちがった。裏切り者がいたところとか、スーツの限界に挑むところは合ってるから、なお混乱した。くそっ! おれが愛した最終回はどこにあるんだ!
友だちを追求したら、「そんな話をした覚えはない」と言われた。それじゃ美化したのはだれだーーー??
レアンダーの本名がリヒャルト・フォン・フォルクマンと知って、どっかで聞いたことあるなと思ったら、ブラック・ジャック「身代金」で、誘拐犯の腕が干からびた「フォルクマン拘縮」の由来になった人だった。意外なところでつながった。
(サイバロイド)
んが、よくよく思い出すと『宇宙鉄人キョーダイン』(1976)のサイバロイドも電脳だった。特撮は子ども向けで、漫画は尻切れトンボだが、アイデアは冴えていた。
そして今、エイトマンも電脳とわかって、私はふたたび打ちのめされている。日本SF文化、たまらないぜ。
(電脳という発明)
なので、士郎正宗『攻殻機動隊』(1991)の電脳は、めちゃくちゃショックだった。脳そのものを機械化するとは! 私が20歳のころだ。その後、ギブスン『ニューロマンサー』(1984)を読んで、ゴーストダビングを封じた士郎正宗のセンスにうなった。
(時代劇時代と異世界世界)
「時代劇」は、江戸の初期とか後期とかは意識せず、「時代劇時代」という認識で制作されているとか。まー、いい加減すぎて凋落した側面もあるが、昨今のファンタジーも同じノリだろう。
つまり「異世界世界」であって、言語や風俗を気にしてはいけない。
主人公は心配する。人間社会がイヤで猿になっても、今度は猿の社会がイヤにならないだろうか? 主人公は都会に帰る。
「人猿の湯」がもたらす変身は双方向だった。人から猿へ、猿から人へ。イヤになったら逃げ、逃げて駄目なら戻る。かくいう旅館の従業員も、人間の暮らしを試す猿だった。(おわり)
◆成長する魔神
短時間で成長すると言えば、『ウルトラマンメビウス』のヒビノ・ミライ。1発目は当たるけど、2発目は対処される。1発で仕留めないと駄目。あと、『ダイの大冒険』で、ダイが双竜紋を使いこなすくだりも印象的。敵にとって、レベルアップする勇者は恐ろしい怪物だ。