ナウシカの特徴ある画風はおそらくメビウスに触発され、しかしメビウスの装飾的なペンタッチは宮崎駿の中で山川惣治や小松崎茂的な、つまり伝統的な絵物語のペンタッチと混ざりあったのだと思う。なのでナウシカに触発された我々もメビウスに行かず、絵物語方面に行ってしまった。洋書も高かったし。
マンガの人気はアイディアやキャラクターだと言われるのである。でもそれだと説明できない差異があって、「流行」で括ると一般化ができない。ふと「態度」ではないかと思った。キャラクターの示す、大筋は常に変わらずとも時代によって微妙に変化する物事への「態度」が人気に繋がるのではないか。
島耕作を長年読んで謎だったのが「自己肯定への貪欲さ」である。学生運動でコテンパンにされた世代だろうに、懲りてるようで懲りて無い、というかずっとあの失意の自分を肯定したかったのだろう。総括するのが死んでもイヤだったのだ。総括という名の自己否定をされる屈辱が身にしみているから。
あきらかに何かおかしいのである。多分何か間違っている。それが気になる。ツッコミたい。実はフィクションにはこれこそが大事なのだ。リアリティなんてものは、あくまでこの次である。だってやっぱ変だろう。みんなそう思う。絶対忘れない。
蒲田で雨宿りしてヒマだったから買ったわら半紙にヤケクソでマンガ描いたんだ! 読んでくれ! いやオレ今忙しいんだけどな!
車乗らないのである。だから33Rも34Rもまったく知らない。だけど「湾岸ミッドナイト」のこのページ見てると「やっぱ33Rだよな」と言いたくなる。これが作品の力だと思う。33Rを信じる彼の熱さ、作者の熱さを信じたくなる。