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「丈助がご老中に直訴したものだから、事態がややこしくなってきた。
丈助の身柄は岡野に引き渡しになった。頭(かしら)の遠山安芸守から通達があるから、岡野は丈助を引き取って、長屋へ押し込めて宅番を付けた。」
#はやおき訳
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「それからいろいろ立替金がかさんで、岡野家一同が困ると、またまた仙之助が悪巧みをして、丈助を出し抜こうとした。そこで丈助が一年分の支払いを計算すると、立替金は三百三十九両にもなったということだった。」
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「おれが奥方を世話してもらった時は、知行所に相談して、岡野の暮らしは百姓のまかないにして、何も困ることがないようにした。〈中略〉たちまち元の通りになってきたから、孫一郎の伯父の仙之助の薦めで、大川丈助というまかない用人を雇うことになった。」
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「おれが思い付いたのは、島田虎之助が二、三年前に江戸へ来たといっても、九州者でまだ江戸慣れはしまいから、一つ驚かしてやろうということだった。
そこで緋縮緬の襦袢に洒落た衣類を着て、短羽織に拍子木の木刀を一本差して、浅草新堀の道場へ会いに行った。」
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「山口鉄五郎は案の定、四年目に甲州騒動で失脚し、江戸へ戻って小十人組に入れられた。三千両ほど借金ができて、家の中も揉め、大心配をして、おまけに、葉山孫三郎は揚屋へ三年、入れられた。
気の毒だから、おれも一度訪ねてやった。」
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「ある日、今井三次郎がおれを訪ねてきた。長谷川が斎藤監物に騙された話をおれがしたら、今井が、自分も同じように騙されたと言う。
おれが監物の居所を聞いたら、
『浅草日音院に居る』
と答えたから、
『騙し取られた金を取り返してやろう』
と言った。」
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「藤川近義先生の年回には、出席者が五百八十余人あったが、その時はおれが一本勝負源平の行司をした。赤石孚祐先生の年忌は団野でしたが、行司取締はおれだ。井上の先代伝兵衛先生の年忌にも、頼まれて勝負の見分はおれがした。男谷の稽古場開きでも、おれが取締行司だ。」
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「地主の当主で岡野孫一郎というのが道楽者で、ある時揚代が十七両たまって、吉原の茶屋に訴えると言われて困っていたが、いつものことだから誰も世話をしなかった。おれは昨今越してきたばかりで事情を知らなかったから、金を工面して済ましてやった。」
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※毎日おれが暴れたものだから、近所の者が、
『最近岡野様に越してきた剣術使いは、子を犬に食われておかしくなった』
と言いおったくらいだった。」
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