(2/4)
「謝って漁師町を出た。飯を食いながら愛宕山に入って、一日寝ていて、その晩は坂を下りるフリをして、山の木の繁っている所で寝た。
三日ばかり人目を忍んで、五日目の夜に両国橋へ来た。
翌日から、回向院の墓地に隠れて、少しずつ食物を買いに出たりした。」
#はやおき訳
(2/4)
「地主の当主で岡野孫一郎というのが道楽者で、ある時揚代が十七両たまって、吉原の茶屋に訴えると言われて困っていたが、いつものことだから誰も世話をしなかった。おれは昨今越してきたばかりで事情を知らなかったから、金を工面して済ましてやった。」
#はやおき訳
(2/4)
「これまでいい友達もなく、悪友ばかりと交わって、良いことには少しも気付かなかった。法外な振る舞いを英雄豪傑と思い込んで、間違えたことばかりした。親類、父母、妻子にまで、どれだけ苦労をかけたか分からない。」
#はやおき訳
(2/4)
「『村中が雨のことで驚いて、皆の気が変わったようでござります。どうにか、金が出来そうになってきました』
と聞いたから、おれも喜んだ。
しかし翌晩また村の様子を聞くと、金を出そうという者と、出すまいという者半分ずつになった、ということだった。」
#はやおき訳
(2/4)
「それからは遊ぶが商売で、どこへでも出掛けていった。それには小遣いも要るから、道具市にも出るし、いろいろやりくりをした。
摂州へ無断でいったことが頭(かしら)に知れて、他行留を言い渡された。二月から九月の初めまで家にばかり居たが、せつないものだ。」
#はやおき訳
(2/4)
それから聖堂の寄宿部屋、保木巳之吉と佐野郡左衛門いう先生の所へ行って、『大学』を教えてもらった。学問は嫌いだから、毎日桜の馬場へ垣根をくぐって行って、馬にばかり乗っていた。」
#はやおき訳
(2/4)
「医者が、
『今晩にも命の保証はできませぬ』
と言った。家のやつらは泣いてばかりいるから、思いきり叱り飛ばして、叩き散らしてやった。」
#はやおき訳
(2/4)
「金は湧く物のように使った。
その翌年、二月から体調を崩して、大病になったものだから、いろいろ療治をして、八月末には少し回復した。そこで無理をして騒ぎ出歩いたら、とうとう十二月初めから大病になって、体がむくんで寝返りもできないようになった。」
#はやおき訳