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「それからいろいろ立替金がかさんで、岡野家一同が困ると、またまた仙之助が悪巧みをして、丈助を出し抜こうとした。そこで丈助が一年分の支払いを計算すると、立替金は三百三十九両にもなったということだった。」
#はやおき訳
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「ある日、今井三次郎がおれを訪ねてきた。長谷川が斎藤監物に騙された話をおれがしたら、今井が、自分も同じように騙されたと言う。
おれが監物の居所を聞いたら、
『浅草日音院に居る』
と答えたから、
『騙し取られた金を取り返してやろう』
と言った。」
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「その晩から、沐浴をして、虎の門の金比羅宮へ毎晩裸参りをして、祈った。」
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「おれが奥方を世話してもらった時は、知行所に相談して、岡野の暮らしは百姓のまかないにして、何も困ることがないようにした。〈中略〉たちまち元の通りになってきたから、孫一郎の伯父の仙之助の薦めで、大川丈助というまかない用人を雇うことになった。」
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「それから、村方のこれまであれこれと敵対した者へそれぞれ咎を言いつけ、水呑百姓の身分に落として、江雪斎の頃からの古百姓には役儀を言いつけ、今回金を出した者には皆、名字を名乗ることを許した。代官には、一年に九斗ばかり収穫が見込める荒地と屋敷を遣わした。」
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「(勝海舟先生の)父・夢酔君が病死した時、母君もまた病床にあった。家は貧困を極め、加えて数百両もの借金があった。貸主は日夜押しかけてくるが、どうすることもできなかった。」
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※毎日おれが暴れたものだから、近所の者が、
『最近岡野様に越してきた剣術使いは、子を犬に食われておかしくなった』
と言いおったくらいだった。」
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「島田(虎之助)氏は、(勝海舟)先生に非常な才覚があるのを察して、こう助言した。
『剣術では、ただ一人の敵を相手にする。しかし君のような人は、人がやらないような物事を学び、大成できるだろう』
先生はそれより、蘭学を志した。」
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「『お前を迎えに他の者を寄越したら、切り散らしてお前は帰らないだろう。そう相談したうえで私が来た。是非とも江戸へ一度帰って、どうとでもなされ』
と、精一郎は言った。斎宮もあれこれ意見を言うから、精一郎と江戸へ帰ることにした。」
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