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「『もはや他に言うことはない。時服は村役人の家に預けるから、汚れぬようにしろ』
と言って、脱いで広蓋に載せて、喜三郎にはおれの刀を渡した。
『これで介錯しろ』
前もって江戸で作らせて持ってきた、首桶を出させた。一同へ向かって、
『頼んだこと、よくよく心得ろ』」
#はやおき訳
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「この年、親父や兄に言って、男谷の外で住むことにした。割下水の天野左京という人の地面を借りて、今までの家を移築することにした。その間居所に困ったから、天野の屋敷の二階を借りていた。」
#はやおき訳
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「おれが七歳の時、今の家に養子に来た。その時、十七歳と偽って、消し棒にしていた前髪を剃り落とした。
養家で、初めての判元見届をした。小普請支配の石川右近将監と組頭の小尾大七郎が立ち会い、青木甚平という義父の兄貴で大御番が仲介をした。」
#はやおき訳
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「この年、前町のやつと凧で大喧嘩をやった。向こうは二、三十人ばかり、おれは一人で叩き合い、打ち合ったが、結局敵わなわず、干鰯場の石の上に追い上げられた。長棹でひどく叩かれて散らし髪になったが、泣きながら脇差を抜いて切り散らした。」
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「入江町の岡野孫一郎の地面へ引っ越してから、だんだん脚気も良くなってきた。
越してふた月目だったか、息子が九つの年、お城から家へ帰ってきた。」
#はやおき訳
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「遠州掛川外れの、天宮大明神の神主で中村斎宮というのの息子が、国元から江戸へやって来た。石川瀬兵衛という剣術使いの弟子になりたがり、あちこちを訪ねていたから、おれが面倒を見ることにした。」
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「十二の年、兄貴の世話で学問を始めた。林大学頭の所へ連れて行かれて、それから聖堂の寄宿部屋の保木巳之吉と佐野郡左衛門という先生に就いて、『大学』を教えてもらった。
おれは学問は嫌いだから、毎日桜の馬場へ行って、馬に乗ってばかりいた。」
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「三、四人が喜三郎にすがりついて、
『少しの間、お待ちくださいませ。一同が一言、申し上げることがあります』
と言った。喜三郎が、
『早く言え』
と言ったら、
『先ほど仰せの儀には、恐れ入りました。我々の家財を売ってでも、金子は用意いたします』
と言いおる。」
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