(2/4)
「京都へ行き、三条の橋の脇に三日滞在して、本格的に休息をした。東海道を下り、大磯に泊まった晩に、髪を切って撫でつけになった。それから川崎に泊まって、家に案内を出したから、大勢が迎えに来て、十二月九日に江戸へ帰った。」
#はやおき訳
(2/4)
「閏八月の二日、銭三百文、戸棚にあるのを盗んで、飯をたくさん弁当箱に詰めて、
『浜へ行きまする』
と言って、夜八つ頃起きて、喜平次の家を逃げ出した。」
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(3/4)
「言われた通りにしたら、だんだん家のイザコザも収まってきて、やかましい婆あ殿もおれを立ててくれるし、世間の人にも信用されるようになってきた。だから人が解決できない難しい相談事、話し合い、その他何でも、自分のことのように思って、助けてやった。」
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(2/4)
「十八の年、また信州へ行った。その年は兄貴の体調が悪くって、坂城という村の見取場の検見を、おれにさせた。
村へ出向いて、一番不作の所に棹を入れたら、籾一枡二合五勺あったから、年貢を決める時、一枡六合五勺も採れるように扱ってやったら、百姓どもが喜んでいた。」
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(3/4)
「頭(かしら)が、
『年はいくつ。名は何という』
と聞いたから、
『小吉。年は当十七歳』
と答えたら、石川殿は大きな口を開けて、
『十七にしては老けておる』
と、冗談を言って笑っていた。」
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(2/4)
「おれは馬が好きだから、毎日門前乗りをしたが、ふた月めに遠乗りに行ったら、道で先生に出くわしてしまった。困って横丁に逃げ込んだが、次の稽古に行ったら、小言を言われた。
『まだ鞍にも座らぬくせに。今後は決して遠乗りはしないように』」
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(2/4)
「その時は、花町の仕事師で八五郎というのが、息子を家へ上げて、いろいろ世話をしてくれた。おれは家で寝ていたが、飛んで八五郎の所へ行った。
息子は、布団を積んだのに寄りかかっていた。」
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(2/4)
「ある時、地主がお代官になりたいと言うから意見を言ってやったら、ひどく腹を立て、葉山孫三郎という手代と相談して、おれを地面から追い出そうとした。そこで葉山孫三郎が来た時に、山口の家へ入れて、お代官の勤め方について話してやった。」
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(2/4)
「息子を常におれが抱いて寝て、他の者には手をつけさせなかった。毎日暴れ散らしたものだから、近所の物が、
『今度岡野様の所へ来た剣術使いは、子を犬に食われておかしくなった』
と、言いおったくらいだった。」
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(2/5)
「親父は卒中風とかで、一日も経たずに死んでしまった。おれは真崎稲荷へ出稽古に行っていたが、家の子侍が迎えにきたから、一目散に駆けて行ったが、すでに事切れていた。」
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(2/4)
「中間が、言いつけ通りに水を手桶に三杯、汲んできた。おれはそれを浴びて、白無垢の上に時服を着た。座敷の真ん中に布団を重ねて敷き、燭台を二つ、左右に並べる。おれは布団の上に座り、
『新右衛門はじめ村方役人どもに申し渡すことがある。一同、座敷へ出るように』」
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