大正8年9月11日付『都新聞』に斎藤満平薬局によるコカ・コーラの広告が出ていた。ここでは「日本一手輸入発売元」を名乗っている。当時は原液を売っており、暑いときのお勧めの割物がソーダ水、冷水なのはともかく、涼しいときの「熱湯」割りも勧めているのが面白い。失われたコーラの楽しみ方だろう。 
   有田ドラッグ商会の有田音松が大正9年1月24日付『都新聞』上で打った広告に父愛助と息子迪夫の写真が出ていた。「忠孝と思想問題」と題してぶち上げた全面広告で家族制度などを論じており、「祖先を崇拝」「嗣子を軍務に服せしめ」という自らの実践例を紹介するために二人を登場させたようだ。 
   長崎の諏訪神社参道にある「まよひ子志らせ」石。往来の多いこの界隈での迷子を何とかしようと明治12年に警察有志が建てたという。石柱は「たづぬる方」と「おしゆる方」にわかれている。解説板はやはり警察が建てている(笑) 
   大正5年10月9日付『日出新聞』に旅行中のアメリカ人が四年前に置いていったとして横浜の税関に保管されていたエジプトのミイラが競売にかかったという話が載っていた。あいにく買い手がつかず、神奈川県女子師範学校に寄付したとある。このミイラはその後どうなったのだろう。