「ハンドフワン(一名大和扇)」というハンディタイプの扇風機の広告が明治39年7月2日付『大阪毎日新聞』に載っていた。この時代にすでに「扇風機を持ち歩きたい」という発想をする人がいたのか…!
明治41年4月18日付『都新聞』には例えば「御座敷の外に絵葉書屋に頼まれてモデルになるので忙しい」と紹介された芸妓が載っている。
靖國神社の臨時祭典の人出を当て込んでか、このシャチは引き続き今度は九段の方へ連れて行かれた(明治41年4月29日付『都新聞』)。ロングラン興行となってきてそろそろ腐敗が気になる頃である。
2月23日付『都新聞』は本公演の細かな演目を列挙している。同姓の「富士川」を名乗る竹子、つや子は富士川一廣の家族親族だろうか。#奇術史
ろせったホテルの開業広告が明治40年12月14日付の『都新聞』に載っていた。「来る十七日より御料理御宿泊共開業」とある。見落としでなければ同じ内容の開業広告以外、年内の都新聞にろせったホテルに関する記事がなく、顛末が分からない。何もなければ明治40年12月17日が開業日ということになろうか。