大正3年4月2日付『都新聞』に、ある人物が幻視した理想的な骨相を備えた「羅美宣(らびせん)」なる福神が紹介されていた。Googleブックスに「羅美宣」で引っかかった本があったのでついでにメモしておく。
明治35年7月13日付『大阪毎日新聞』、同紙が連載していた洞窟探検の記事を基に早速見世物に仕立て上げた興行者が千日前にいたという。どんなアトラクションだったのだろう。この頃の新聞と興行の関係はたいへん興味深い。
「電気燈」とかけてお染久松と解く 心は油屋の迷惑(油不要の電灯は油屋には目の敵、心中事件を起こすお染久松は油屋の娘と丁稚)、明治36年1月14日付『京都日出新聞』 https://t.co/tiDWNrX0ry
『メタモルフォーゼの縁側』の実写映画化に伴い作中に登場する『君のことだけ見ていたい』を空気階段・水川かたまり脚本にてHuluオリジナルで実写ドラマ化、って情報が多いな(笑)
明治21年11月20日付『みやこ新聞』の記事「日曜日の景況」は市中の行楽模様の一つにこの浅草の鬼の見世物を取り上げた。ここでは「大江山酒呑童子の首と茨木童子の左の腕の骨」となっている。日曜限りの特価もあり大入りだったようだ。同時期の興行として大象の演芸や模造富士も見える。#湯本鈍器補遺
まだゴム管付きの哺乳瓶時代は続く。大正2年12月11日付『信濃毎日新聞』 https://t.co/l4awXT8xZh
明治28年10月22日、京都で平安遷都千百年紀念祭が始まった。会場には同年の第四回内国勧業博跡地があてられている。間がないことも作用したのだろう、同日付『日出新聞』の場所割を見ると博覧会時と同じ慶流橋を渡った場所と元美術館前に「噴水」とあり、博覧会の噴水を残したものと思われる。#噴水史