千葉市川の東華園での菊人形展示を巡って事故が起きた。大正9年11月18日付『都新聞』。「猿廻し」の人形に生きた猿を綱で繋いで組み合わせるという趣向が悲劇の伏線に。退屈した猿が暴れるからと動きにくいよう綱を短くしたばかりに、犬に襲われても身体の自由がきかず、あわれ噛み殺されてしまった。 
   大正12年4月8日付『都新聞』「年下の女を相手に童貞蹂躙の訴へ/日本最初の珍事件」、弁護士の山崎今朝弥が寄せている「自分も三十五の時ある婦人から童貞を破られた」「その時の自分の苦痛」「心の痛みだ」というコメントも踏まえつつ、『日本の童貞』を読んでみねば。 
   はしご古書で吉祥寺の百年さんへ。『年表近代日本の身装文化』が半額であり、びっくりして買い求めた(笑)『日本ばちかん巡り』もあった!(誰か向けお役立ち情報) 
   大正13年7月30日付『静岡民友新聞』メートル法が社会に根付く前は確かに、富士山の高さをメートルで言えるのは常識ではなかったということ。「富士山の頂上には一年中(12(ヶ月))雪が白く(469)」12,469尺[小数点以下を切り上げ]という記憶法は一般的だったのかしらん。むろん当時は日本一の山でもない。 
   ひょんなことから手を染めた、中国国内では認可されていないジェネリック白血病薬のインドからの密輸入は、いつしか貧困に喘ぐ上海の患者コミュニティの光となり―。むさ苦しい主人公のおじさんが“1年後”のシーンから大変なイケおじに(笑)19本目は『薬の神じゃない!』チネ・ラヴィータ。面白かった! 
   大正9年6月18日付『都新聞』に「浅草へ来た不作法物 人に似た猿猴」と題した続きがある。男は五六年前に帰朝し山梨に帰ったと消息を語るとともに“ゴリラ女房”譚だったことも匂わす。後段は花屋敷に戻り、来たのはつがいの“ゴリラ”で「英領ボルニユー」産の「ヲランコタン」だとする。#本朝ゴリラ渡来史 
   大正9年夏、芝浦埋立地一号地を利用した「芝浦納涼遊覧会」というイベントが行われた。7月24日付『都新聞』の「涼しい郷へ」と題した納涼特集記事に場内の凝った噴水が載っている。ささまざまな余興や設備が用意され、その一つとして「八幡薮」があった。その委細が記事にないのは惜しまれる。#噴水史 
   明治時代の体重計事情が気になり始めると、こうした広告が急に面白く見えてきた。立派な体格を目指そうというメッセージが力士や肥えた中年男性のイラストからも伝わる「次亜燐」がここでは体重計を使っている。測定単位が「磅」、すなわちポンドなのが殊のほか興味深い。明治44年2月23日付『都新聞』