明治44年2月4日付『都新聞』、前年11月に開南丸で出発した白瀬南極探検隊からの上陸を知らせる電報、という体を装った広告だった。「レート」ブランドを擁する平尾賛平商店のクリームの宣伝で、使えば顔や手が荒れず肌理が細かくなり美しい肌となる、「寒いときはクレームレートに限る」と結んでいる。
明治43年7月31日付『神戸新聞』、夏場の水不足で節水が呼びかけられる一方で、噴水などにドンドン使い贅を極める奴がいるという批判は神戸に限らず各地で見られる。#噴水史
2月23日付『都新聞』は本公演の細かな演目を列挙している。同姓の「富士川」を名乗る竹子、つや子は富士川一廣の家族親族だろうか。#奇術史
明治28年10月22日、京都で平安遷都千百年紀念祭が始まった。会場には同年の第四回内国勧業博跡地があてられている。間がないことも作用したのだろう、同日付『日出新聞』の場所割を見ると博覧会時と同じ慶流橋を渡った場所と元美術館前に「噴水」とあり、博覧会の噴水を残したものと思われる。#噴水史
京都岡崎の紀念動物園にライオンがやってきた。初めて目の当たりにする百獣の王の威容は人々を驚かせたことだろう。明治40年1月の『京都日出新聞』にはライオンの記事や広告が散見する。画家たちも競うように写生の筆を滑らせたようだ。咆哮は東山も震動せんばかりに響き渡る。