「家茂は十三歳で将軍となり、二十一歳で短い生涯を閉じるが、その在職八年の間、三度の上洛(最後は長州征伐途上)を敢行し、熾烈な国内政治の中心に身をおいた。当時の言葉を用いれば、まさに「国事」に奔走した最初の将軍なのである。」(久住真也『幕末の将軍』吉川弘文館、P7)
「一九世紀半ばまで、ヨーロッパの農業者は、一般的に、高い農産物価格を得ていたのに対して、農業労働者に支払う労賃は低かった。これは、大陸部の工業発展が不十分で、労働者にとって農場に代わる場所が存在しなかったためであった。」(戸谷浩訳『農の世界史』ミネルヴァ書房、P153)
8月11日は、作家・吉川英治の誕生日。
「古人を観るのは、山を観るようなものである。観る者の心ひとつで、山のありかたは千差万別する。無用にも有用にも。遠くにも、身近にも。山に対して、山を観るがごとく、時をへだてて古人を観る。興趣はつきない」(『随筆宮本武蔵/随筆私本太平記』P123)
「謙遜は芸術にとって自明の前提である。人間の事業にして、毫末の疑惑をさし挟む余地のないようなものは一つもない。何人といえども、その短き生涯を終えんとして、自己の一生がいかにささやかな価値を有するにすぎなかったかを覚知せざるはないであろう。」(『忘れられた日本』中公文庫、P135)
「近世以前、道を行くのは、人であれ馬であれ、いずれも徒歩であった。道は東海道の一部や京都ー伏見間のような特定の車道を除けば、硬い路面である必要はなかった。人はもちろん馬さえも、硬い靴や蹄鉄ではなく、軟らかい草鞋や沓を履いていたのである。」(金田章裕『道と日本史』日経BP、P228)