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慶応四年(西暦1868)、西郷隆盛との江戸無血開城の談判に臨む勝海舟と、彼が生まれる前年、檻に入れられている海舟の父。 
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※このくだりはフィクション演出です。
吉原でケンカを売られていた柳亭種彦(高屋彦四郎)さんを、結果的に助ける小吉。 
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「師匠と忠次の試合になったが、忠次が体当たりをして政左衛門が背後の戸にぶつかって、雨戸が外れて仰向けに倒れ、起きざまに続けて腹を打たれた。
その日はそれで終わったが、始めに師匠が嫌味を抜かしたのが憎いから、帰り際に表札を引き抜いて持って帰った。」 
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「この人(島田虎之助)は世間なみの撃剣家とは違ふところがあつて、始終、『今時みながやり居る剣術は、かたばかりだ。せつかくの事に、足下は真正の剣術をやりなさい』といつて居た。」
 #勝海舟 
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「山口鉄五郎は案の定、四年目に甲州騒動で失脚し、江戸へ戻って小十人組に入れられた。三千両ほど借金ができて、家の中も揉め、大心配をして、おまけに、葉山孫三郎は揚屋へ三年、入れられた。
気の毒だから、おれも一度訪ねてやった。」
 #はやおき訳 
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「『まず髪を何とかしろ』 
と言って、茶屋の向いの髪結所へ連れて行って、おれを月代にさせた。
『その格好じゃみっともない』
と、奇麗な浴衣と、三尺手拭いをくれた。
『何しろ杖をついていては仕方がない、駕籠に乗れ』 
とも言って、駕籠を雇って乗せて、毎日よく世話をしてくれた。」 
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「江戸へはその日の晩の八つ頃来たが、あいにく空は真っ暗で、鈴が森で野犬どもに取り囲まれた。一生懸命声をあげてわめくと、番人をしていた物乞いが犬を追い払ってくれた。」 
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「謝って漁師町を出た。飯を食いながら愛宕山に入って、一日寝ていて、その晩は坂を下りるフリをして、山の木の繁っている所で寝た。
三日ばかり人目を忍んで、五日目の夜に両国橋へ来た。
翌日から、回向院の墓地に隠れて、少しずつ食物を買いに出たりした。」
 #はやおき訳