東京都内にあるサントリーの工場は、有名な武蔵野ビール工場(府中市)ともう一つ多摩川工場(稲城市:サントリープロダクツ(株) 清涼飲料水を製造)が、玉川を挟んで向い合うように立地している。この付近の変遷を今昔マップで。GIF動画はスレッドに。サントリーって1963年にはもうビールを作ってたんだ。 https://t.co/NMMCdkcny4
赤字での加刷があまり美しくない2万5千分1地形図は、それまでの東京市15区に、1932(昭和7)年10月1日、周辺5郡82町村を編入し改編して新たに20区を設置し、合わせて35区としたことを反映した、仮製の地形図。昭和7年部分修正測図、昭和7年10月30日発行で、今でいう迅速更新だな、実は資料修正だけど。
(続) 別荘地の「御坊主」と「八百僧」も面白いし、「ヲシバ」というのもよい。ヲシバは漢字風でエボシ山は一般的な明朝体なのは修正時期の相違によるのだろう。
居住者や建物がなければ地名があっても注記されないので、山の中が開発されたことによって潜んでいた小字が姿を現したというわけかと思う
この、昭和14年発行の「大日本分県地図併地名総覧」は大冊の地図帳だが、後付に記載された「本図は正価提供につき絶対割引せず」という宣言にも似た”絶対”つきの文句が印象的である。下の方には念を押すような”御注意”も書かれている。当時はよく値崩れを起こしていたのだろうか?
新潟市西区の「小針銀座」にはまってしまい、持っている住宅地図でその過去に見入ってしまった。36年前には小針十字路(紫マーク)にスーパー・商店・書店・銀行が集積、新興住宅地の中心街だったが、より郊外に大型商業施設もできて小針銀座の商業は衰退し、銀行と塾が目立つだけとなった。
(続) ③特別支援学校の注記。個別の学校名(固有名詞)は”~特別支援学校”のほか”~総合支援学校” ”~視覚支援学校” ”~聴覚支援学校” ”~支援学校”など多彩だが、一般名詞は”特別支援学校”。地理院地図の注記は”養護学校”を含め多彩だが、学校名を記載しないなら”特別支援学校”に統一すべきかと思う。
地理院地図における、城郭の天守閣。オリジナルや木造復元のものは、更新前の犬山城以外きちんと普通建物だ。いくら大きな姫路城であっても。
一方で鉄筋コンクリート造で外見のみ”復元”再建されている大阪城や名古屋城は「堅ろう建物」で描かれている。 https://t.co/aibrCb8J75
あす8月25日は大河津分水通水100周年。分水路の水面標高を見るとビックリ。河口から1㎞まで10m近くで保たれ、最後に急流怒涛となり海へ。改修工事の第二底固は遷急点の遡上防止の重要な工事というわけか。過去ツイートを→
https://t.co/HCB65qJtMA
https://t.co/vP4BRWrilO
https://t.co/MjvzbVVliK
秋田県大館市白沢地内の国道7号、奥羽本線を跨ぐ白沢跨線橋が去る3月30日に架け替え供用されていたが、このたび地理院地図でも迅速更新された。新道はやや遠回りになり線形もカーブが増えてしまったが仕方なかったのであろう。
更新前後の地理院地図と開通通知のスクショを貼る。GIF動画はスレッドに
戦前の20万分1帝国図で長崎県東彼杵を見ると、彼杵村とある。彼杵郡の広域地名から取った僭称的な村名かとおもうと、そうでもない。川は彼杵川。江戸時代に遡り伊能図や国郡全図にも彼杵村・彼木村。ここは昔から彼杵のようだ。そう、この地を中心とする荘園が彼杵荘だったそうだ。(続)
(続) 箱根町は都市計画基図をネット上で公開していてすばらしい(https://t.co/FSS542SZO1)。比較してみると、地理院地図が都市計画基図をもとにしていることが瞭然で、途切れている水路もその通りだが、地下に潜る坑口がある。地理院地図には坑口は描かれず地下水路は基図にもないからこうなるか…