気になる展覧会:弥生美術館「伊藤彦造展―美剣士の血とエロティシズム」2025年9月20日(土)~12月21日(日)https://t.co/BdCkwRlMuh
大正8年(1919)4月22日付『都新聞』で“猩々太郎”らしき足跡を見つけた。“猩々太郎”の絵葉書は見ていたが、なぜ“猩々”太郎なのか考えてもみなかった。「皮膚の色は飽迄白けれど頭髪は赤く」だからか。この年に20歳という年齢も辻褄が合う。
明治40年9月3日付『京都日出新聞』に四条磧に「人魚の見せ物」が8月末から出ている旨載っていた。5日付紙面の投書欄に「人魚」の委細を投じたありがたい人がおり、臭気の酷い「豹とも鯨とも訳の分らぬ獣皮細工の物」と評している。細工とあるものの、時期的には大阪堺に出たジュゴンの死骸かも知れぬ。
大正13年7月29日付『都新聞』、連載記事「禽獣商売往来」が始まる。第一回はリスやサルが売れているとの話を枕とし、後段は大型獣の話へ。震災の影響で横浜が海外からの動物輸入港としての機能を停止し、取り扱いは神戸が一手に独占する。「神戸の有竹」は有竹鳥獣店(https://t.co/BpEgNkcF7m)だろう。
明治45年3月10日付『東洋日の出新聞』(長崎)「王冠口新形瓶アサヒビール」、「従来ノ木栓ヲ廃シ王冠口トナシタレバ」、瓶ビールは王冠の時代へ。