大正4年4月7日付『都新聞』に載った上野の料理店、世界本店からの相談と寄せられた案が面白い。「便所」の語に代わる奥ゆかしい呼び名がないか。雪隠からの連想で「雪の間」と呼び、マークは雪輪の模様にしてはどうだろう、とはお洒落。「(御)化粧室」という言葉は当時すでに入っては来ていたのか。
家電たるもの、持てる機能は全部盛りにしてみたいというのはいつの時代も同じか(笑)全方位へ風を送り、氷や香水を使えば冷風や香り付きの風を出せ、“ラジウムオゾン”まで発生させる「レコード破り」の扇風機が登場した。大正4年7月26日付『都新聞』(広告は同31日付)
洋画家の鹿子木孟郎が明治38年、大阪難波で日露戦争の日本海海戦に題材を採ったパノラマ館に関わった記事を見たばかりだったので(記事は『大阪毎日新聞』同年8月12日付)、俄然興味が湧いてきた。 https://t.co/sVNnWdFvWt
試し斬り(様斬)についてはぜひこちら氏家幹人『大江戸死体考』を傍らに置いて。 https://t.co/RZCRa1m5zE
ということは、例えば『第二回水産博覧会出品目録第二冊』明治30年に長崎県の出品者として登場するこの長崎市本籠町の安達八三郎がマジシャンのジャグラー操一なのか!びっくりだわ。#奇術史 https://t.co/wH4tRSenvS
神保町からこちらの3冊をお迎えした。昭和のマイナなレーベルの新書雑書はよい。戦後まもなく縁あって草野球で対戦した進駐軍の兵士たちを期せず銭湯に案内することになり巨大なナニを見た話とか、東京にサウナ風呂が「およそ十軒ほどある」という時代の話とか、いろいろと面白い。
カスタード軍の左下隅は長崎・梅月堂のベテラン、シースクリーム先生のような気がする。https://t.co/jvOHFc1cGI
明治39年8月18日付『神戸又新日報』に載ったこの記事は時期的に同じイベントだろうか。「怪美人千歳米坡の幽霊に扮せる写真」とあるように幽霊画だけではなく、こうした写真も出品されていたのか。 https://t.co/LmG3vO26C1