【海野幸氏】北条時頼が初めて流鏑馬を披露するに及び、幸氏が指南した。その際西行が語った極意を紹介すると、下河辺行平や愛甲季隆といった弓達者がしきりに感心したという。この頃の彼らは結構老齢だったはずなので、弓談義に花が咲いたのではないかと思う(『吾妻鏡』嘉禎三年7月19日条)。
小山の一族上杉朝村が酔って放った矢が、三浦一族が飲んでいる店に入った。その非礼の対応が悪く大喧嘩となり鎌倉は騒然とした。次期執権・北条経時は三浦方に駆け付けたが、弟の時頼は彼等が仲がいいのを知っていたのか意に介さなかったので度量を称えられた。(吾妻鏡仁治二年11月29日-30日条)
#いい推しの日
今日は「てつしぼかわつつみがちりんもんもがみどうぐそく」という名前だけでもおぼえて帰っていってください。
#アナログ絵を流してアナログ民を増やそう
アナログ絵しかねぇから(ドヤることでもねぇけど)。恥ずかしいホワイト跡をご覧ぜよ。
【いい風呂の日(11/26)】
源義朝「よくねーよ!」
※義朝は、逃亡中に立ち寄った家人の屋敷で風呂に入った時に襲撃され、帰らぬ人となった。
#12月になったのでフォロワーさんに自己紹介しようぜ
日本の歴史を題材にして絵を描きます。真面目に考えて、下らない絵を作ることが多いです。よろしくおねがいします。
【鯰尾形兜】桃山時代の武将にとって、鯰は地震を起こすという俗信から、敵の心を揺るがす武勇を発揮するための縁起担ぎとして、尾を象った意匠が蒲生氏郷や堀直などに好まれた。なかでも前田利長の兜の鯰尾は長大である。
現代の我々は、大地の平穏を願って畏れ敬い、荒ぶる時に備えるのみです。
#2021年もあと少しなので今年の作品の中で特に気に入っている作品を上げる
まだ描けそうなら描くけど。源太産衣はなかなかの出来だと、個人的には思ってるんだけど如何。
堀直寄は幼少の頃、紙や土の人形が大好きで、それ以外の物を贈っても喜ばなかった。そして葛篭いっぱいに集めたそれらを、人目のない所で並べて合戦の真似事をしていたという。ガンプラでも差し上げたら家老になれたかもしれない。
【悪源太の狒々退治伝説】岩屋岩蔭遺跡のある、岐阜県下呂市金山地方には、悪源太義平が妖怪狒々を退治したという伝説が伝わっている。https://t.co/F9cwvxqzh8