大徳王寺城の戦い、「偵察兵不足で悩む保科→祢津氏の鷹」で打開の流れが中先代の前哨戦リフレインで同窓会的な側面が強くなっている。一方、上杉兄弟のやり取りは足利兄弟のやり取りによく似てるんだよな(まあ実際に従兄弟同士なんだが)
#逃げ若本誌
恐らく高師直配下で関東執事補佐の薬師寺公義。打出浜の戦いに参戦記録がある。師世といい、かなりマニアックな武将が出てきているな
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北畠親房が東国で書き上げた一大日本通史である『神皇正統記』「ある童蒙のために書いた」という執筆動機が書かれており、この「童蒙」が誰か?が議論されていた。一般的には父帝を亡くしたばかりの後村上帝を指すと言われているが、逃げ若では時行くんのスパルタ教育用になりそうww